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結局、去年は最後まで、全然ダメでした。
自分でも理解できないくらい、原発事故のダメージが大きくて、 福島やその周辺の人達の事を考えては思考停止に陥いっていました。 二度とこんな悲しいことが起こらないように・・・と願うことすら違和感があり、 二度どころか、一度だって絶対起こってはいけないことが起きてしまったというのに、 その事実と、全く変わらぬ自分の生活や世の中の動きが、あまりにも乖離していて、 そこに不自然さを感じながらも、少し目をそらせておかないと先に進めないというジレンマ。 無関心でいるか、過関心になるか、の両極端以外に、 このことに関する気持ちの置き所を見つけられない状態のまま、 多分、私は、無関心の方を選択してやり過ごしてきたのだと思います。 しかし、お正月が近づき、一斉におめでたいムードになってくると、 未来とか希望とかを口にすることに、ものすごく抵抗を感じるようになりました。 一年が終わり、新しい年が来るという事が、 なんだかとても残酷な事のように思えて仕方がなかったのです。 目に見える景色は何も変わっていない中で、 外野には、「そこには住むな」という人が居れば「住んでも大丈夫」という人も居て、 残りたい気持ちと、そこに居続ける事の不安を抱え、これだけ不確かな情報に翻弄されながら、 自分だったら、いったいどんな思いで暮らし、どんな行動を取るのだろうか。 ハッキリと分かりやすい、目に見える絶望も無い中では、 希望を見つけるのも簡単な事ではないような気がします。 日本はこれまで、いろんな災害・困難から立ち上がってきたんだって言うけれど、 そんな言葉で片付けられないですよね。終わってないし、終わりが見えないんだし。 放射能の影響云々よりずっと手前のところに、本当の苦悩があるのだと思います。 現地に住む人の手記に 「心配してくれなくていいし、福島の野菜なんか買ってくれなくていい。 ただ、もう、私たちをそっとしておいてください」 と書かれたものがありました。 この言葉も、福島出身の知人から伝え聞くつらい話も、 TVで紹介される、前向きに頑張ろうとしている人々の姿も、 結局は一部分でしかないわけですが、 それぞれの人がいろんな思いで、考え、決断し、行動している中、 当事者以外の人間には、本当は、 そのすべての選択を否定しないで認める事しかできないような気がします。 でもきっと、それも正しい答えではないし、ある意味、無関心という事になるのかもしれません。 もはや、無関心という言葉の意味さえ分からなくなってきています。 これほどまでに、考えても考えてもどうにもならない問題があるなんて、 1年前には想像もしませんでした。 そんな思いを引きずりながら、始まりました。2012年。 どうにもならない問題からは少し目をそらして日常を送り、そんな自分にちょっと嫌気がさし、 また考え始め、答えが出ないことを思い出して、再び日常に戻る。 きっと、その繰り返し。 多分、今年も、いろんな覚悟が必要とされる一年になるでしょう。 このエントリーによって、覚悟が決まったり、何かが整理されるわけではありませんが、 今年の初めに、どうしても書いておきたくなりました。 どうして書いておきたいのか、何を書いておきたかったのか、さっぱりわからぬまま、 新年らしからぬ記事になってしまった事、お許しくださいね。 去年の震災の後、このブログを通じて、匿名でメッセージを送ってくださった方が居ました。 そこには、「あわてず、あせらず、あきらめず」と書いてあり、勇気と元気をもらいました。 正直に不安を吐露して良かった。ブログをやってて良かった。とつくづく思ったものです。 みんなが、口にしないだけで、本当にいろんな思いや不安を胸に毎日を送っていて、 そんな気持ちを思いがけず共有することで、安心できることがあるんですよね。 なので、今年もこのブログは、どう思われるかとかはあまり考えず、 「正直に」をモットーに、気持ちのままに綴っていこうと思います。 ・・・と言ってもね。 あいかわらず、くっだらない記事ばっかりになるとは思いますけど(笑)。 プププな出来事、今年もたくさん拾いあげていきましょう。 さぁ、今年もがんばりますよ! また1年、よろしくお付き合いくださいませ。 |